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引用

 “占領ボケ”ということばがまだ生きているくらい、当時大多数の日本人はアメリカ軍のいいなりに、北を侵略軍とイメージした。とりわけ、本来ならば労働者の国際連帯の立場に立つべき労働組合がすでにそうだった。総評が、民同を中心にまさにこの時期に生まれてくるわけですが、GHQの示唆を受けながら生まれてきた総評は、GHQの評価を鵜呑みにしたような朝鮮戦争観をそのまま機関決定として公式に打ちだした。「北は侵略軍であるから、国連軍の正義の行動は肯定されるべきである」という基本認識に立って、したがって、「それに協力するような軍需産業にかかわることもやむをえない」と肯定し、しかし、「戦火に巻きこまれることだけはゴメンだ」という被害者意識を、自主性の証しのつもりで最後につけ加えている。
 はしなくも、この文章が示している思想をもう少し拡大していくと、じつは戦後民主主義体制のなかでわれわれが自己の内につくりだしている意識構造の原型なのだという思いがします。つまり「アメリカあたりの悪い奴がやる戦争にひきずりこまれるのはゴメンだ。日本は平和国家だ。しかし北の侵略軍も悪い」そういったような発想に安住していられる無神経さ。そもそも戦後民主主義というけれども、そのことばの意味が定着するのは本格的には、むしろ朝鮮戦争後なのではないか、と私は考えています。朝鮮戦争を全体としてこのような形でしか体験しえなかったことが、日本人民のその後の一つひとつの転機にたえず実質的に負い目として覆いかぶさってきているのではないかとも考えます。(梶村秀樹「8・15以後の朝鮮人民」75頁(梶村秀樹著作集第5巻所収))

mojimoji「ハルキも泣かずば撃たれまい」について

 「僕」の記事を読んでいたら「犯人は犯行現場に戻る」という話が頭をかすめたよ。それで気になって「犯人は犯行現場に戻る」で検索したら、すぐにこんなのがでてきた。ここである人が次のように書いている。

①証拠隠滅
②現状確認
③再犯

この3点が多いんじゃないでしょうか?
①忘れ物を取りに行く(車・犯行道具・指紋や足跡・アリバイ作り)
②事件になっているか?被害者はどうしてるか?(生死等)
③犯行が容易だった為に、再度犯行を犯す(盗み等)


 これが本当かどうかはさしあたりどうでもいい。面白いのは、この文が「僕」の行為を大体説明しているように読める点だ。「僕」は次のように書いているけど、
 

まぁ、ペラいよね。世界的な小説家であるとは信じがたいほど。昔、エルサレム賞スピーチを擁護した経緯もあるので、落とし前をいくつかつけておく。


 今回の記事全体を通じて「落とし前」というより「証拠隠滅」とか「アリバイ作り」に励んでいるように読めるし、もっというと「現状確認」のうえ「再度犯行を犯」してるようにも読める。気のせいだろうか。「僕」は次のように書いているね。

ちなみに、9.11を数多の「9.11」の中に位置づけること。それを通じて、私たち自身を問い返すこと。こうしたことは、9.11に関連づけたものに限定しても、当時からたくさんの文章が書かれて発表されていたはずだ。おなじみのチョムスキーやサイード、他にも、それこそ小説家も発言してたように記憶してる。そうした発言の数々について、村上春樹はまったく学んでいないということ。これは物を書く人間として相当に恥ずかしいことではないかと思う。


 村上春樹の類が「数多の「9.11」」を無視し「9.11」にのみ驚いてみせるのは、「学んでいない」というより、「犯行が容易だった為に、再度犯行を犯す」連中とその(犯行を批判しているようで実はアリバイを提供し続けている)イデオローグの(関係の)問題として考えた方がよいと思う。現実を批判(的に読解)しているようで実際には現実を擁護している例のスピーチをした村上春樹は、この意味でもたしかに「恥ずかしい」関係をイスラエルとの間にもってしまったと思う。ただこの「恥ずかしい」関係は、イスラエル=村上春樹と、「昨年1月に村上春樹がエルサレム賞を受賞したとき、その受賞スピーチを擁護する一連の文章を」延々と書いていた「僕」との間に、戯画的に誇張されて「再犯」されたんじゃないかしら。そして今の「僕」はどうだろう。「僕」は次のように書いている。出現順序は逆になるけど、まず典型的な方を引用しよう。

既に述べたように、スピーチを批判するか擁護するかは、実は主たる問題ではない。スピーチもろとも、あるいは、スピーチを踏み台にして、そうした「免罪」や「容認」という意味を制作している数多の読者たちを俎上にのせなければならない。村上春樹にこだわればこだわるほど、批判すべき本体を見逃してしまうことになる。


 これは記事の最後の段落で、この文章の末尾には註5が付せられていて「言うまでもなく、このような意味での「読者たち」とは、僕が常々言うところの「観客席の人たち」である。」とある。もうひとつ。

よって、僕自身は村上春樹のスピーチを擁護した。しかし、読めばわかるだろうが、「賞だけもらってかえってくればいいよ、ハルキは無理する必要ないよ」「それでもやったんだよ、ハルキエライ」とか言ってた恥知らずな村上フリークへの批判でもある。そして、問題にすべきはそういう人たちであり、村上のスピーチを擁護するにせよ批判するにせよ、それを通じて「村上に傍観者たることを許そうとした人たち」をこそ批判しなければならない。


 この引用文の末尾には註4がつけられていて「こういう人は、自分自身に対しても「傍観者であってよい」と言うだろう」云々とある。
 この二つの引用文から、とにかく「僕」が、傍観する立場にとどまっていることは問題だ、と考えている事は伝わってくる。
 しかし「僕」は、パレスチナ民衆の現実に対して傍観者的・無責任的な村上のスピーチを公開の場で擁護する論陣をはること「を通じて」、村上春樹の傍観者的・無責任的表現行為を(可能性のレベルどころか)実際に、(傍観・無視するどころか)主体的に、許してしまった―――批評対象(村上のスピーチ)そのものが何とでも解釈できるうえに、「「そうとも言えるが、そうでないとも言える」程度の」「僕」の村上春樹批評が、それこそ「意見を異にする人に届くわけがない」(し実際日本語の中でさえ届かなかった)から、「僕」の行為の客観的意味はそうなる―――。「僕」のなした事実について「僕」はどう考えているのだろう。「僕」の作為と人々の不作為があって、前者が不問にされているとき、後者に肩をすくませてみせたり、いらだってみせたりすることには、どんな意味があるだろう。
 私は以前mojimoji氏に対して次のように書いた。

行為主体である村上春樹を批判するより先に、相対的にしか責任を有さない「観客席」の人々を批判することを主眼とするのは、端的に言って、やはり間違いではないか。パレスチナ問題が自分に無関係な事柄であるかのように生活しながら、都合のよい時だけ観客席から拍手喝采する人々の無責任な偽善ぶりは、確かに批判されるべきだろう。しかしだからといって、このような人々への批判が、村上春樹自身の責任を相対的に不問にする方向へと助勢するとすれば、それは本末転倒というべきだろう。


 要するに私は、この件についてmojimoji氏が、(行為主体の)作為と(第三者の)不作為の差異をいささか慎重さを欠く形で扱った、と判断した。だがいまやmojimoji氏は、(観客席どころか)その行為について不問にされるかつての村上の席に「僕」自身を座らせつつ、なお「僕」は「観客席」を批判し続けるのだから、「僕」の症状は悪化していると思う。

変奏

 以下、大江健三郎『沖縄ノート』213-5頁。太字は原文傍点の箇所。

 おりがきたとみなして那覇空港に降りたった、旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は、かれを拉致しはしなかったのである。それでもわれわれは、架空の沖縄法廷に、一日本人をして立たしめ、右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から罪責の重荷を取除くのに応分の義務を果したいと、「或る昂揚感」とともに語る法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
 この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりもっとグロテスクだ。なぜなら「日本青年」一般は、じつは、その心に罪責の重荷を背おっていないからである。アーレントのいうとおり、実際はなにも悪いことをしていないときに、あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。この旧守備隊長が、応分の義務を果たす時、実際はなにも悪いことをしていない(と信じている)人間のにせの罪責の感覚が、取除かれる。「日本青年」は、あたかも沖縄にむけて慈悲でもおこなったかのような、さっぱりした気分になり、かつて真実に罪障を感じる苦渋をあじわったことのないまま、いまは償いまですませた無垢の自由のエネルギーを充満させて、沖縄の上に無邪気な顔をむける。その時かれらは、現にいま、自分が沖縄とそこに住む人々にたいして犯している犯罪について夢想だにしない、心の安定をえるであろう。それはそのまま、将来にかけて、かれら新世代の内部における沖縄への差別の復興の勢いに、いかなる歯どめをも見出せない、ということではないか?
 おりがきたら、とひたすら考えて、沖縄を軸とするこのような逆転の機会をねらいつづけてきたのは、あの渡嘉敷島の旧守備隊長のみにとどまらない。日本人の、実際に膨大な数の人間がまさにそうなのであり、何といってもこの前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がない、新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。現にいま、若い世代のごく一般の愚かしい高校生が、なにものとも知れぬものにつながる使命感、「或る昂揚感」に揺り動かされて、その稚い廉恥心すらそこなうことなく、朝鮮高校生に殴りかかる実情を見よ。この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪責感はなしに、そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、かれらからにせの罪責感を取除く手続きのみをおこない、逆にかれらの倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしないこと、それは大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。
 沖縄からの限りない異議申立ての声を押しつぶそうと、自分の耳に聞こえないふりをするのみか、それを聞きとりうる耳を育てようとしないこと、それはおなじ国家犯罪への新しい布石ではないのか。佐藤・ニクソン共同声明のあと、われわれの政府がおこなっている工作と宣伝は、まったく剥きだしにその方向づけにある。「沖縄問題は終った」という呪文は、じつはそれをくりかえしとなえることによって、沖縄への罪責感、戦争責任・戦後責任はもとより、沖縄からの異議申立ての声ともども、「沖縄」そのものが実在しなくなることすらをめざしての、まことにその根源において全破壊的な、恐ろしい呪文である。


 おりがきたとみなして仁川国際空港に降りたった、天皇は、朝鮮の青年たちに難詰されたし、…拒まれた。かれはじつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、朝鮮法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ朝鮮の人々は、かれを拉致しはしなかったのである。それでもわれわれは、架空の朝鮮法廷に、天皇をして立たしめ、右に引いたアイヒマンの言葉が、ドイツを日本におきかえて、かれの口から発せられる光景を思い描く、想像力の自由をもつ。かれが日本青年の心から罪責の重荷を取除くのに応分の義務を果したいと、「或る昂揚感」とともに語る法廷の光景を、へどをもよおしつつ詳細に思い描く、想像力のにがい自由をもつ。
 この法廷をながれるものはイスラエル法廷のそれよりもっとグロテスクだ。なぜなら「日本青年」一般は、じつは、その心に罪責の重荷を背おっていないからである。アーレントのいうとおり、実際はなにも悪いことをしていないときに、あえて罪責を感じるということは、その人間に満足をあたえる。天皇が、応分の義務を果たす時、実際はなにも悪いことをしていない(と信じている)人間のにせの罪責の感覚が、取除かれる。「日本青年」は、あたかも朝鮮にむけて慈悲でもおこなったかのような、さっぱりした気分になり、かつて真実に罪障を感じる苦渋をあじわったことのないまま、いまは償いまですませた無垢の自由のエネルギーを充満させて、朝鮮の上に無邪気な顔をむける。その時かれらは、現にいま、自分が朝鮮の人々にたいして犯している犯罪について夢想だにしない、心の安定をえるであろう。それはそのまま、将来にかけて、かれら新世代の内部における朝鮮への差別の復興の勢いに、いかなる歯どめをも見出せない、ということではないか?
 おりがきたら、とひたすら考えて、…逆転の機会をねらいつづけてきたのは、天皇のみにとどまらない。日本人の、実際に膨大な数の人間がまさにそうなのであり、何といってもこの前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動に責任がない、新世代の大群がそれにつきしたがおうとしているのである。現にいま、比較的若い世代のごく一般の愚かしい市民たちが、なにものとも知れぬものにつながる使命感、「或る昂揚感」に揺り動かされて、その稚い廉恥心すらそこなうことなく、朝鮮小学校の子どもたちを襲撃する実情を見よ。朝鮮人の民族教育に対する政府の、マスコミの、愚劣かつ醜悪な対応を見よ。この前の戦争中のいろいろな出来事や父親の行動と、まったくおなじことを、新世代の日本人が、真の罪責感はなしに、そのままくりかえしてしまいかねない様子に見える時、かれらからにせの罪責感を取除く手続きのみをおこない、逆にかれらの倫理的想像力における真の罪責感の種子の自生をうながす努力をしないこと、それは大規模な国家犯罪へとむかうあやまちの構造を、あらためてひとつずつ積みかさねていることではないのか。
 朝鮮からの限りない異議申立ての声を押しつぶそうと、自分の耳に聞こえないふりをするのみか、それを聞きとりうる耳を育てようとしないこと、それはおなじ国家犯罪への新しい布石ではないのか。鳩山・李共同声明のあと、われわれの政府がおこなっている工作と宣伝は、まったく剥きだしにその方向づけにある。「植民地支配の問題は終った」という呪文は、じつはそれをくりかえしとなえることによって………。

金明秀「人権教育の問題点」について


 金明秀氏は「人権教育の問題点」において、「人権教育を《やるべきかどうか》という次元では、答えは明らかで、やるべきなのです。ただし、《どうやったらいいのか》という次元については、難しいところがあります。少なくとも、現行の人権教育のやり方には、明らかに間違っているところがある」と述べたうえで、次のように述べている(番号は引用者)。
 

 ①小中学校の人権教育では、「差別をするのは悪い人」だと教える傾向があります。「差別をする悪い心があるから、差別が起こる。だから差別をなくすためには心の中の悪い部分をなくしましょう。一人ひとりが心の中から差別をなくしていけば、いつか社会から差別はなくなるのです」という教え方をします。
 ②でも、差別をするのはみんな悪い人でしょうか? 悪い人でなければ差別をしないといえるでしょうか? ぼくは、現実の差別事象というものはそんなに単純なものではないと思いますけどね。


 ①は二つの文からなっていて、それぞれ「小中学校の人権教育」における「教える傾向」と「教え方」を述べたものだが、最初の文の「差別をするのは悪い人」は価値判断であり、二番目の文は主に因果関係(「差別をする悪い心があるから、差別が起こる」)について述べている。②は、三つの文からなっているが、最初の文の「差別をするのはみんな悪い人でしょうか」は≪差別をするのは(みんな)悪い人である≫の変形、二番目の文の「悪い人でなければ差別をしない」は≪悪い人であれば差別をする≫の変形として理解できる。
 ≪差別をする人は悪い人(である)≫と≪悪い人は差別をする(人である)≫は等しくないのだが、①と②からなる引用文全体(結局記事全体)は、両者の差異を問わないとき全体として最もスムーズに読める。≪XはYである≫と≪YはXである≫は、常に混同されているわけでもないし、差異が明確に認識されているわけでもない。≪差別をする人は悪い人(である)≫と≪悪い人は差別をする(人である)≫の差異に対する無感覚が、特定の局面や特定のマジョリティーの意識の中で、常態となっているのであれば、なぜそのような倒錯が常態となっているか、いかなる歴史的社会的条件がそれを支持しているか、反差別運動の停滞が発生しているか否か等、それ自体分析に値すると思われる。
 人権教育の現場で「差別をするのは悪い人」だと教えると、多くの場合、≪差別をする人は悪い人、悪い人は差別をする(人)≫≪差別をする心は悪い心、悪い心は差別をする(心)≫等々の短絡が形成され、その結果、子どもたちが(差別に対する)価値判断と(なぜ差別が発生するかという)因果関係を区別して理解することに失敗しやすいことを示す実証研究があるのだろうか(あるいは多くの教師がそのような短絡を子どもたちに教えているという調査結果等)。仮にそのような研究があるとしても、短絡の形成を回避しつつ(差別に対する)価値判断と(差別発生の)仕組みをより正確に区別して教授する方法を考えるのが先だと思われる。



 丁度「きれいはきたない、きたないはきれい」のように、≪差別をする人は悪い人(である)≫と≪悪い人は差別をする(人である)≫の差異の無化について考えている。人によっては、「人間が歴史的に獲得してゆく様々な倫理が道徳規範として社会に沈澱してゆくということは、そもそもそういうことなんだから、お前の指摘はただの言葉の問題にすぎない」と考えるかもしれない。だがそうだろうか。丸山真男の「「である」ことと「する」こと」(同『日本の思想』所収)を想起されたい。私は≪差別「する」人は悪い人「である」≫と≪悪い人「である」人は差別「する」≫の差異を指摘している。ただし丸山は「具体的状況での具体的な行動を見ないと、よい人とか悪い人とかは単純にいえなくなります。というより、よい人、悪い人という基準に代って、よい行動と悪い行動という基準がますます重要になってくるといった方がいいでしょう」(167頁)【註1】と述べており、私も行為を問題にすべきだと考えるので、≪差別をする人は悪い人(である)≫よりも≪差別は悪い行いである≫の方が適切であり、そうすれば≪悪い人は差別をする(人である)≫との差異も一層明確になると考える。私が拘っているのは、価値判断と「悪人からは悪事が流れ出す」(166頁)的な認識との違いである。≪差別「する」人は悪い人「である」≫は特定の行為をした人に対する価値判断であり、≪悪い人「である」人は差別「する」≫は「悪人からは悪事が流れ出す」的な、一種の因果関係(の表現)と地続きになった認識である。両者は等しくないから、≪悪い人「である」人は差別「する」≫(の弊害)を批判し解体する際に、≪差別「する」人は悪い人「である」≫という価値判断(及びその伝達)をいっしょに控える理由はない。逆に言えば、控えようとする意識の中では両者の違いが問われていない(あるいは被伝達者がその違いを認識できないと考えている)。(念のため)付言すると、丸山は「である」=悪、「する」=善であり、すべてを行為(する)の連鎖で機能主義的に説明すべき、と述べているのではない。丸山は「「である」価値と「する」価値の倒錯」(179頁)を問題にしている。「前者(である)の否定しがたい意味をもつ部面に後者(する)がまん延し、後者(する)によって批判されるべきところに前者(である)が居座っているという倒錯を再転倒する道」(179頁)【註2】は差別論にも適用すべきだろう。問題は今なお日本的道徳へと反差別運動が回収されないよう闘争することでもある。



 金明秀氏は、「道徳教育のために差別を利用している」事象と「似た構図」の問題があるとして、次のように述べている(文中スラッシュは引用者)。

 似た構図に、反戦教育のためにアジアや在日が利用されるというのもあります。「日本はかつてこんなにひどいことをしました。アジアの人はみんな怒っています。われわれは、申し訳ないと思わなければいけない。だから、日本はふたたび戦争に踏み出すことはできない。軍事国家化すれば、アジアの人がどんなに怒るか考えてみよ」という教え方です。アジアを利用せずとも反戦教育は単純にできるはず。ところが、「そんなことをしたら、隣のおじちゃんに怒られるよ」と言わんばかりに、「アジアに怒られちゃうよ」という形で、反戦教育を進めていくのです。/それがどのような弊害を生むかといえば、「そんなに、反日、反日いうのだったら、日本から出て行ってください」という暴論を引き出してしまうのです。つまり、「確かに日本は悪いことをしたし申し訳ないと思います。でもそんなに日本が嫌いだったら出て行ったらいかがですか」という、ある意味で素朴な声を生んでしまう。


 ≪反戦教育のためにアジアや在日を利用するから、暴論を引き出す/素朴な声を生んでしまう≫は因果関係であり、もし「軍事国家化すれば、アジアの人がどんなに怒るか考えてみよ」は、本来(被害をうけた他者への想像力を通じて加害者側の)当事者性を喚起する言葉だと私は考える。「そんなに、反日、反日いうのだったら、日本から出て行ってください」という言葉が、議論を無視した文字通りの「暴論」であれば、因果関係は成立しえないから、単に「暴論」を批判するしかないだろう。同様に「確かに日本は悪いことをしたし申し訳ないと思います。でもそんなに日本が嫌いだったら出て行ったらいかがですか」という言葉が、それこそナイーブすぎる「素朴な声」なら、この場合も因果関係以前に、間違いを指摘したうえで当人に大人になってもらうしかないだろう。だが逆に、その「暴論」や「素朴な声」が本当に「反戦教育のためにアジアや在日が利用される」から発生するという因果関係の下にあるなら、それらは「暴論」や「素朴な声」ではないし、原因を狩るべきだろう。しかしながら、当事者性のない無責任な「アジアや在日」の利用が経験的に観察されるという問題と、「軍事国家化すれば、アジアの人がどんなに怒るか考えてみよ」という言葉の間には差異がある。仮に「反戦教育」が形骸化した結果「暴論」や「素朴な声」を生んでいるという因果関係があるのだとしても、まずその無責任な「教え方」を批判し改善する余地があり、「~すれば、アジアの人がどんなに怒るか考えてみよ」という言葉の価値引き下げに及ぶとすれば、それは行き過ぎだと思われる。だがそもそも「素朴な声」や「暴論」が噴出する経緯は「そんなに単純なものではない」だろう。
 たとえば、A≪日本が改憲すればどんなにアジアの人々が悲しむか考えてみよ≫に対して、B≪アジアの人々が悲しまなければ日本は改憲してもいいんだよね?≫と応答する類の精神が社会に瀰漫しているとき、その精神と対決するより以上に、Aを除去して(字面上の)Bが発生しないよういわば機能主義的な処理へとむかう行き方は、端的におかしい。金明秀氏の記事にはこれと似たおかしさが読みとれる。「愛着」のエピソードはこのおかしさとよく符合する。


【註1】傍点は省略した。
【註2】括弧内は引用者による補足。傍点は省略した。

加藤典洋「敗戦後論」について


 加藤典洋「敗戦後論」の問題点をいくつか。
 第一に、歴史修正主義との親和性。戦後の日本にはアジアを向いた外向きの自己はほとんど存在してこなかったにもかかわらず、あたかもそれが存在してきたかのように読めてしまう。
 第二に、歴史的経緯が捨象された「アメリカの影」。憲法9条は、日本に厳しい第三の諸国無しには考えられなかったにもかかわらず、あたかも日米関係だけで事が決しているように読めてしまう。
 第三に、「太平洋戦争史観」(吉田裕)との親和性。いかなる戦争を遂行した結果敗戦に至ったのかという歴史的経緯が希薄な構成になっているため、結果として「対中国侵略戦争の延長線上に対英米蘭戦争が発生した」(家永三郎)という歴史意識が希薄な人々にも受け入れやすい構成になっている。
 第四に、植民地侵略戦争という認識の欠如。対中国侵略戦争の結果としての45年の敗戦という経緯の重要性を括弧に入れてしまう構成になっているため、植民地侵略戦争の結果としての敗戦という歴史的経緯は一層不問にされる。加藤の言う「300万と2000万という対比からは、植民地侵略戦争の過程での死者の問題が抜け落ちている」(高橋哲哉)。
 第五に、「アジアの死者」に対する天皇の責任がフェイドアウトしてしまう構成になっている。等々。



 私の考えでは、9条の「ねじれ」として「わたし達日本人」が考えるべきことがあるとすれば、それは次のことである。つまり日本は、19世紀末から日本の敗戦までつづいたアジア諸民族の反日抵抗運動が、反日解放連合軍を結成して日本に逆襲し日本本土を壊滅させた結果、9条を得たのではない。いわばアジアが反撃する権利を十分行使しないうちに「わたし達日本人」は9条を宣言したという点である。「敗戦後論」の本質はこの「ねじれ」を抑圧する点にあると思う。アメリカによる憲法の押しつけという「ねじれ」への拘泥が一定の人々をとらえてしまうのは、その「ねじれ」に憑かれている限り、「わたし達日本人」が確かに「敗戦後」という時間に属しているというイメージをくりかえし確認できるからだと思われる。つまり「敗戦後論」は、「敗戦後」に属する「わたし達日本人」というイメージを(再)確認することで、アジアとの関係では実はずっと戦前(過去のそして未来の戦争の)に属しているかもしれない「わたし達日本人」という90年代に露呈した事実を、意識の表面に浮上させないよう機能する点にその本質があると思われる。「300万の自国の死者」と「2000万のアジアの死者」という併記の本質も、どちらを先に悼むかにあるのではなく、どちらを選択してもアジア=死者のイメージを(再)確認できる点にある。ここで本当に葬られているのは反撃するアジアである。この意味で「敗戦後論」は、対米コンプレックスを動員した疑似対立(を「先に置いた」アジアへの道)を供給することで、実際には死者(被害者)アジアと反日アジアの分割統治への橋頭堡となった点にその歴史的役割があったと思われる。



 反日と向きあう契機を欠く「敗戦後論」は、私には、次の野田正彰の文を想起させる。野田は『戦争と罪責』(1998)で次のように述べている(30-1頁。強調は原文傍点の箇所)。

 私は戦犯として中国の収容所に入れられた多くの将兵に会ってきたが、彼らに共通しているのは、「自分は中国人を虐殺した。だから、事情はどうであれ、自分も中国側に殺されるかもしれない」という怯えを欠如していることである。倫理的な罪の意識の欠如と共に、中国側への強い甘えがある。罪と自覚していないので、責任をとらなければならないとは考えない。だが、罪とは感じなくとも、あれだけ多くの中国人を虐殺したのだから、理不尽であれ自分も殺されると考えてもいいはずである。ところが、そうは考えなかった。
 湯浅さんも、「自分は生体解剖しているのだから(罪であるか否かは別にして)、自分も生体解剖されるかもしれない」と、ぞっとしてもいい。しかし、そうは思わなかった。
 「心の中で弁明しているんですね。命令だった、仕方がなかった、戦争だった、こんなものはよくある、あちこちで普通のことだった、と。もう戦争は終ったしね」
 ここには個人の自覚が乏しく、集団に準拠して生きる人間の精神的強さが、よく表われている。自我が曖昧な人は、集団でいる限り、不安にならない。集団がパニックになる場合、自分もパニックになるが、それは一過性のこと。集団は常に人々の行為の責任をぼかし、すべての行為に同意する装置として機能している。


 暴力と9条の関係において、アジアに対する暴力としての安保、沖縄の軍事基地化、朝鮮半島の分断等の上に成立している9条という事実よりも、(歴史的経緯が捨象された)占領と9条の関係を想起する平和主義は、アジアへの「強い甘え」に依拠した平和主義といってよいのではないか。アジアに対する暴力の上に成立している9条という「ねじれ」と向きあわないで、「わたし達はこの価値観を、いま、大本で、自らのものとしている」(『敗戦後論』(ちくま文庫)25頁)といってのける「敗戦後論」の精神こそ、「「戦後」の自己欺瞞が半世紀も続くとどうなるものかを示す、好個の例証」(同前19頁)だと思われる。「自分たちはアジアの人々を虐殺した。だから、事情はどうであれ、自分たちもアジアの人々に殺されるかもしれない」という「怯え」を欠如した、アジアへの「強い甘え」は、戦後の日本人が(過去から継承している)自分たちの(アジアに対する)暴力・攻撃性と向きあわない事態と表裏一体だと考えられるが、「敗戦後論」に「アメリカの影」はあっても反日と向きあう契機が欠如している理由は、この「強い甘え」のためだと思われる。



 樋口陽一は、日本が「敗戦によっていわば自動的に植民地を失い、植民地解放をめぐる国論の分裂という苦渋を主体的にくぐりぬけることがなかった」ことを指摘したうえで、「「おしつけられ」たのは、憲法だけではない」(同『憲法と国家』19頁)と述べている。「敗戦後論」に、反日と向きあう契機がない、「アジアの死者」に対する天皇の責任を問う視角がない、ということが何を意味するか明らかだろう。つまり「敗戦後論」は、(アメリカによる)「植民地の報復」(同頁)からの保護のおしつけには便乗するが、(アメリカによる)9条のおしつけには文句を言ってみせるという点で、虫がよすぎる。人によっては加藤典洋こそ「国論の分裂という苦渋を主体的にくぐりぬける」試みを「敗戦後論」でやってみせた、と考えるかもしれない。だがそれはおかしい。そもそも植民地解放戦争の泥沼に直面していれば、いやでも反日と向きあわざるをえなかっただろうし、「アジアの死者」に対する天皇の責任もごまかすことができなかっただろう。こういった「苦渋」をすべて括弧に入れてしまったのが甘すぎる占領であり、甘すぎる講和(peace)だったのである。アメリカによる9条のおしつけを指摘するだけで何か占領の真実を言いあてたかのようにふるまえる事自体が、アメリカの甘すぎる占領によって可能になった小賢しい「身ぶり」にすぎない。かつて加藤は「アメリカの影」で次のように述べていた(『アメリカの影』(講談社文芸文庫)40頁)。

ぼくは、ここで一つだけ簡単にいっておきたい。日本文壇(?)は、日本はいまアメリカなしにはやっていけないという思いをいちばん深いところに隠しているが、それを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している。アメリカなしでもやっていける、という身ぶりが身ぶりでしかないのは、彼らが貧乏を恐れている(!)からである。

 これは次の文を「隠蔽している」。

ぼくは、ここで一つだけ簡単にいっておきたい。「敗戦後論」は、日本はいまアメリカなしにはやっていけないという思いをいちばん深いところに隠しているが、それを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している。アメリカなしでもやっていける、という身ぶりが身ぶりでしかないのは、「敗戦後論」が反日を恐れているからである。




 「敗戦後論」は、歴史を捨象したアメリカの暴力を特権的に参照する構成になっているため、「わたし達日本人」(のありさま)を、歴史的事実にもとづいて客観的に分析できず、(どの死者に自己同一化するかという)自己イメージ(間の分裂)の問題としてとらえる。したがって「敗戦後論」自身もまた自己イメージの(再)生産になっており、次のC・ダグラス・ラミスの「戦後期」的「自己イメージ」に対する批判が大体あてはまると思われる(C・ダグラス・ラミス『内なる外国――「菊と刀」再考』(1981)186-7頁。強調は原文傍点)。

 私が教えている大学の学生が最近提出した英作文のなかに、次のような驚くべき文章があった。「第二次世界大戦で日本は西洋に負けた」。もちろん、これは「不注意な」表現だが、こういう不注意がまさに、この学生の思想の内面的構造にある口には出されない部分をそのまますべり出させたのである。というのは、大学二年生が事実を知らないためにこのようなことを書くとは信じられないからである。この学生が第二次世界大戦で、ドイツとイタリアが果たした役割を、あるいは中国の役割、韓国および東南アジア全域での反日抵抗運動の役割を知らないはずはない。この文章を説明するとすれば、それはうっかり忘れて書いたものではなく、むしろそうした事実は系統的に排除されてしまう観念の表現なのである。たいていの日本人が、この国の今の時代を、「戦後期」として表現しているように思う。今日のこの国の政治、文化、歴史的方向はすべて、第二次世界大戦の結果によって決められた。日本が戦争で誰に負けたかという問題は、現在の日本の自己イメージにとって決定的に重大だということだ。戦後の日本文化の形象のなかでは、日本は「西洋の文明」に負けたことになっているようだ。
 この概念は、いくつもの機能を果たす。第一に、日本人の人種に対する態度からして、西洋に負けた方が他のアジアの国々に負けたよりは国民的自尊心に対する精神的打撃が少ない。第二に、「西洋の文明」のような超歴史的力によって負かされた方が、国民の利益のためにたたかう単なる国々の連合に負けたと信じるよりは、納得しやすい。それなら不可避な結果だという感じになるわけだ。最後に、「西洋の文明」という概念は、戦後の日本人の歴史的課題を定義づけるのに役立つ。すなわち、「西洋の文明」(特に経済、科学技術の面)の型にできる限り近づくことである。
 読者がもし、私の説明が大袈裟であると感じられるなら、そのかわりに提起しうるもうひとつの歴史的仮説の隠された内容をじっくり考えてみて欲しい。「第二次世界大戦で日本は中国に負けた」(もちろん、これはかなりの部分真実である。中国での戦争の規模と重要性だけを別にして、考えてみよう。もし、アメリカが太平洋で一貫して何年も何年も負けていたら、アジアの利益を捨てて、孤立主義に戻ることは確実だっただろう、しかし、アメリカが戦争から手をひいたとしても、中国は必要があれば、今日までも、闘いつづけたにちがいない)。もし、この公式化が一般的に受け入れられれば、明らかにすべては変わるだろう。戦後日本の全体像、現在の歴史的時期をいかに特徴づけるか、世界の他の国といかに関係を持つか、すべてが変わってくるであろう。このことから、たぶん、「日本は西洋に負けた」という(非歴史的)考え方がもつ重要性をわれわれは理解できる。
 (戦争の記憶が全くない19歳の学生が、敗戦を納得するのに自己欺瞞が必要であるということは信じがたいと、反対されるかも知れない。しかし、それは、同世代のアメリカの若者が、アメリカは勝利したと教えられてきたのに、彼らの態度は何ら深い影響はうけていないと信じるのと同じくらい間違っている。日本が中国によって敗けたことは、歴史の本以外には文字通り見えなくなっているのに、アメリカによって敗けたことは今なおいわれつづけ、日本人の生活のすみずみにまでしみ込んでいるときに、それがなぜ、過去の問題などでありえようか。軍事基地はいぜんとして存在しているし、誰が日本の国際的友人であり、敵は誰であるかは、まだワシントンで決定されているのである。特に、今の気楽な時代に、憤慨したり、つらいことに会って誰も不愉快になりたくない。それをさける方法のひとつは、日本はまさに歴史的な力に負けるべくして負けた、と信じることである。)


 加藤典洋は現憲法に対する自己欺瞞を批判する前に、まず「19歳の学生」の「自己欺瞞」と同レベルの自己欺瞞を自己批判すべきだろう。問題はこの種の「自己欺瞞」が現代版脱亜入欧思想として多くの日本人に共有されている点にある。「敗戦後論」(的発想)はこの手の「19歳の学生」たちに支えられていると考えられる。



 「アジアの死者」という「悪霊」を追い払えないまでも、「アジアの死者」が死んでいることを人々にみせて(安心させて)くれるエクソシストとして、加藤典洋と高橋哲哉はどちらが優秀かと問うことができる。もちろんエクソシストとしては加藤典洋(敗戦後論)が相対的に優秀であって、高橋哲哉の才能はむしろ(アジアに対する)エクソシストとしてまったくつかえないところにある(と私は思う)。同様にもし戦後補償運動がエクソシストの運動、一種の御霊信仰の実践であるなら、「国民基金」(的な運動)がその他の運動より優秀であり、そのゴールとなってしまうの不可避だと思われる。実際、加害者側である自分たち自身が過去から継承している暴力・攻撃性については否定・解体する気がないのに(国家の法的責任・責任者処罰等追求の放棄)、被害者側をいかにソフトに黙らせるか、被害者側の攻撃性(怒り、悲しみ、嘆き、訴え等々加害者側にとって攻撃性として現象するすべてのもの)をいかに解体するかにのみ専心している加害者側の運動は、倒錯というほかないが、一種の御霊信仰の実践と考えれば合理的に理解できる。自分たち日本人が死なないための憲法9条は好まれるが、自分たちが日帝から継承している暴力・攻撃性の否定・解体としての9条からは離脱していった、左派の右旋回とあわせて考えるべきだと思われる。



 アジアの攻撃性を抑圧するためではなく、アジアに対する日本の攻撃性(という悪霊)を抑圧するために9条はおしつけられたのだから、そもそも9条は反日的である。反日と向きあえない日本の左派が「わたし達はこの(平和憲法の)価値観を、いま、大本で、自らのものとしている」と言うことほど悪い冗談はない。


補足
 4で引用した加藤典洋の文の前後は次のようになっている。

 彼(江藤淳のこと:引用者)の一番深い認識は、やはり、日本はいまアメリカなしにはやっていけない、というものである。
 そしてこれは、タブーなのだ。
 なぜ、このことがタブーとなっているのだろうか。
 ぼくは、ここで一つだけ簡単にいっておきたい。日本文壇(?)は、日本はいまアメリカなしにはやっていけないという思いをいちばん深いところに隠しているが、それを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している。アメリカなしでもやっていける、という身ぶりが身ぶりでしかないのは、彼らが貧乏を恐れている(!)からである。「アメリカ」なしでやる場合、彼らは経済的困窮を覚悟しなければならないが、いまよりも生活程度が下がることを恐れる彼らの本音が『なんとなく、クリスタル』にあらわに現れていればこそ、彼らはこの作品に生理的な反応を生じているのである。
 このことは、現在の日本文学が東南アジア等第三世界への経済侵略の上に成立している日本経済の繁栄を、いまだに直接に指弾できないでいることに見合っている。
 文学もまた、1960年以降の高度経済成長の恩恵をこうむってきた。そのタブーに似た事実のただなかから、一つの小説が書かれた時、それは現今の日本文学の恥部に触れ、何よりも、戦後の「日本文学」が「恥部」をもっているということを知らせたのである。

 劉彩品の言葉を対置しておこう(劉彩品「私は「反日」と言ってはばからない」115頁(『前夜』第1期8号、所収)。)

 私は貧乏が必ずしも不幸だとは思わないよ。いまの中国が豊かになったからといって幸福じゃないのと同じ。それなりで生活できるの。日本の基準で見れば「ひと月一万円で生活できるの? おかしいね。どんなに苦しいか」と思うんでしょう。ある花岡補償運動家が私に言ったの。「劉さんはね、中国の田舎に行ったことがないから、彼らがどんなに貧乏か知らない。二十五万円でも彼らの助けになるんだ」って言ったの。私は大声を張り上げて「いらぬお世話だ!」って言ったんだよ。もう頭にきちゃうでしょう。二十五万円でも助けになると日本の運動家はそう思っているのだ、日本の補償運動は貧しい中国人の救援運動だったのか、と。
 私は日本人を説得する気力がもうない。行くように行きなさいってなっちゃってるのよ、本当に。自分たちがどういう社会をつくりたいというのがなければ、そんなのいくらやってもだめだね。

 「日本の運動家」のおめでたさは加藤典洋のそれにひとしい。
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