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姜萬吉の韓国冷戦勢力批判(4)

冷戦勢力の歴史的属性は何であるか
 冷戦勢力を克服し清算するためには、かれらがもつ歴史的属性を正確に理解する必要がある。第一にかれらは民主主義の発展を喜ばないと言う点で際立っている。日帝強占時代を通じて政治・経済・社会・文化的民主主義の発展が極度に制約されたわたしたちの民族社会は、民族解放こそが民主主義の発展において革命的契機となるべきだったのであり、そのようになっていれば社会の各部門における親日勢力も革命的に粛清され残存しえなかったであろう。
 歴史的に、現実的に、清算されるべき勢力が清算されずに政治・経済・社会・文化的現場にそのまま残存するためには、その政治体制が民主体制となってはならず独裁体制が適合するものである。李承晩独裁体制や朴正煕独裁体制が、清算されて然るべき親日勢力とその再版としての冷戦勢力の隠れ家ないし保護所となったのはあまりにも当然のことであった。だからこそ親日勢力・冷戦勢力の属性は民主主義の発展、ひいては歴史の発展自体を嫌悪するのである。
 世界史的に20世紀の帝国主義時代及び東西冷戦体制が清算され平和主義時代・文化主義時代が展望される21世紀には、韓半島においても政治・経済・社会・文化的民主主義が一層前進し南北が和解することで平和統一を志向してゆく道が歴史の正しい方向であることは間違いない。しかし独裁体制を主導あるいはその陰に棲んでいた冷戦勢力としては、民主主義が発達して南北が和解することで平和統一へと向かう場合、棹差す空間が消滅することは自明である。とくに民主主義の発達と平和統一への志向の強度が高じるほど、かれらに対する打撃は致命的なのであり、だからこそ冷戦勢力としてはあらゆる手段を動員して南北和解と平和統一論を阻止するのである。しかし旧時代は過ぎ新時代がくるのであり、歴史とは発展するものである。
 自分の立場を正当化するために極めつけの反民族勢力でありながら民族主義勢力の仮面をかぶり、民族の他方を敵視するのが冷戦勢力の第二の属性である。日帝強占時代の親日勢力を母体とする冷戦勢力が解放後も生き残るためには日帝時代を通じてかれらと敵対関係にあった、左であれ右であれ民族解放運動勢力と、ひきつづき敵対する以外になかったとは先に述べた。
 親日勢力を母体とする冷戦勢力が解放後も粛清されずに政治・経済・社会的位置を維持するためには、かれらが生き残り続けたことの正当性を前面に押し出す必要があった。それゆえ、過去の自身の反民族的行跡を隠蔽するためにも、自身の路線、すなわち反共主義及び反北主義路線を民主主義路線であるとでっちあげる以外なかった。そして親日勢力が民族勢力へと転身するためには過去の民族解放運動路線を否認あるいは黙殺するか、さらには反民族的路線としてでっちあげる以外なかった。その際、反共主義を強調し、日帝時代の民族解放運動勢力を左右の別なく、共産主義勢力および容共勢力として追い込んでいくことがきわめて効果的であった。
 南韓単独政府樹立に参加しなかった臨時政府勢力については、共産主義者あるいは容共主義者として追い込んで粛清したが、民族解放運動戦線から解放後の時代にまでいたる社会主義勢力に対しては、積極的に敵対せざるをえず、またそうしてこそ現実的に自己勢力の正当性が成立すると考えたのである。この場合反単独政府勢力、すなわち南韓単独政府樹立反対勢力の全体に対しては、左右の別なく、民族の一部という意識よりも敵対意識がより先立たざるを得ず、かれらと妥協して共に生きるという考えよりも、討って滅する対象とみる考えが先行せざるを得なかったといえる。
 冷戦時代や軍事独裁時代には、かかる冷戦意識が別に問題となることはなかった。6・25戦争の際と同様に、北は民族の一部である前に敵であり、米国は他国ではなく血盟の友邦であったためである。しかし帝国主義時代と冷戦時代へと継承された20世紀が過ぎ去ることで、世界史的に冷戦体制が解消され、民族史的にも南北和解の時代が到来している。民族のもう一方を同族として考えることができず敵としてのみ考えた冷戦勢力は選択の岐路にあるようだ。敵としてのみみてきた民族の一方を今からでも同族とみて和解し協力してゆく対象とするのか、あるいは時代の変化と民族問題の進展に共に参与することができず冷戦勢力としてそのまま生き残り続けるか、選択はかれら次第である。
 政治・経済・社会的位置を維持するために外勢と容易に結託することを冷戦勢力の第三の属性としてあげることができる。過去半世紀のあいだ南韓の冷戦勢力が依存したのは「血盟の友邦」米国であり、とくに駐韓米軍はかれらの頼もしい背景だった。したがって駐韓米軍撤収論を、かれらは亡国的・反国家的・反民族的論議であると罵倒してやまなかった。南側の国力が北側の何十倍となっても、南側軍隊の武器の性能が北側よりもどんなに優秀であっても、かれらは常に北側の南側に対する攻撃の危険性を強調し誇張しながら、米軍撤収がただちに戦争につながるかのように言ってきた。
 しかし世界史において東西冷戦時代が過ぎ、韓半島において南北和解時代が近づいてくることで、駐韓米軍無用論がゆっくりとではあれ台頭しはじめている。米軍が撤収して東アジア地域が平和になるか、東アジア地域が平和になって米軍が撤収するかという論議は、鶏が先か卵が先か式の論難と同じものであるともいえる。しかし全人類社会が、21世紀が20世紀よりも平和的な世紀になることを希望している以上、圏外の軍事力である米軍が東アジア圏に駐屯せねばならない理由は弱化するだろう。この点においても、冷戦勢力が今後その立場と去就をみずから選択せざるを得ない重要な理由がある。
 冷戦勢力の第四の属性は平和統一自体を嫌悪するという点だといえるだろう。分断時代半世紀を通じて冷戦勢力が追求してきた統一は北進統一・滅共統一であり、それが不可能になって最後に追求した方法がドイツ式吸収統一であったといえる。したがって南北協商統一や対等統一はまったくかれらの思考の外であった。解放後北側からきた越南民たちが北に置き去った土地を再び獲得するため土地文書を大切に保管しているという話がきこえてくることからも、このことは斟酌しうる。
 しかし、その地政学的位置が重要な原因の一つであると考えられているが、韓半島においては6・25戦争によって実証されたように、北進統一のような戦争統一は不可能だったのであり、金日成主席死亡後ただちに生じると論じられまた期待されていた吸収統一も、不可能であることが実証されつつある。結局、協商統一の方法以外残っていないといえるが、冷戦勢力・反北勢力がそのまま維持されるためには、南北が統一されずに引き続き対立状態を維持するかあるいは戦争統一や、最低限、吸収統一でも成されねばならないために、両者いずれでもない平和統一を嫌悪する以外ないのである。20世紀を超えて世界史的、民族史的趨勢は平和統一・和解統一・協商統一の方に向かっているので、冷戦勢力が生き残ってゆく道は徐々に狭くなり、危機をおぼえるほどに生存のための身震いはより深化するのである。

 

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