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姜萬吉の韓国冷戦勢力批判(3)

冷戦勢力はどのように強化されてきたか
 米軍政と李承晩政権の下での冷戦勢力は、当初38度線以南に存在した日帝強占時代の親日勢力を中心に形成された。しかし以降も冷戦勢力が増加し強化される諸要因があった。38度線以北においてはソ連軍占領初期から以南とは比較できないほど侵略者日本人たちに対する処遇が過酷であり、民族解放運動戦線の社会主義勢力が政権をとったあとには、いまや民族内部の親日派と地主を含めた資産階級などを弾圧しはじめ、宗教的自由も制限していった。そのため親日派と地主を含めた資産階級とキリスト教信者などを中心とする多くの人口が38度線以南へと越南した。
 かれら越南人たちがつくった組織のうちとくに著名なのが西北青年会であり、その要員たちは南側の反共団体と連合して強力な反北・反共勢力となった。西北青年会のような越南した反共・反北勢力が加勢することで、南韓における反共・反北主義勢力は急速に強化されてゆき、かれらは社会主義勢力と統一民族国家建設勢力、すなわち単独政府反体制勢力を弾圧する前衛隊として活動した。その徹底的な反共・反北活動過程はそのまま、北から脱出したり追い出されたかれらが南韓においてその居場所を確立してゆく過程であったため、南北の間の反目は深化し冷戦体制も強化されていった。
 しかし1950年代に6・25戦争が勃発する前までは、このように冷戦勢力が強化される渦中においても、平和統一を志向する勢力がある程度のこっていた。その具体的証拠としては、6・25戦争直前である1950年5月に実施された第2代民議員選挙において、中道派とよばれた単独政府反対勢力が相当数議会に進出し李承晩支持勢力が少数に転落した事実をあげることができる。
 しかしただちに6・25戦争が勃発することで、いまや南韓において中道派勢力、平和統一勢力は全滅の如き状態となり、若干残存したとしてもすべて活動を中止して潜伏し、冷戦体制が急速に強化された。もはや南韓の場合、北進統一勢力と冷戦勢力(このときは事実上熱戦勢力だったが)だけが残った状況となった。戦争がおわることで再び平和統一勢力が台頭しはじめそれが進歩党結成として現れたが、極度の冷戦体制の前でその勢力は犠牲となるほかなかった。
 [1960年に]4・19運動が爆発することで潜伏していた従前の平和統一勢力及び4・19の主体勢力としての新しい平和統一勢力が急浮上したが、[1961年]5・16軍事クーデターによってすべて弾圧された。5・16クーデーター勢力は平和統一論を「間接侵略論」であると断定し、「4・19空間」を通して表面に出てきたすべての平和統一勢力を粛清しながら冷戦体制をふたたび強化していった。「4・19空間」において4・19の主体たちは大体において外勢介入を排して南北の直接会談による平和統一を主張した。4・19主体のこのような平和統一論は大まかにみて三つの勢力にとって大きな脅威とならざるをえなかった。
 そのひとつは南韓の軍部勢力である。7年前まで北側の軍隊と銃を交えて戦闘し、なおも北側軍隊が主敵である南韓軍部は平和統一論の前ではその存在理由を喪失するような状況だった。さらに当時は現在とことなり平和統一論が一般化していなかった。それだけでなく平和統一論の主唱者たちは政府当局者ではなく、李承晩政権をたおしたものの後継政権をとれなかった4・19主体勢力であった。 
 平和統一論に脅威を感じたもう一つの勢力は言うまでもなく冷戦体制、すなわち対北対決体制が維持されてようやくその存在理由が明確になりうる親日勢力を根とする冷戦勢力であった。5・16軍事クーデターの首謀者である朴正煕は日本帝国主義の傀儡満州国将校出身であったので、4・19空間で爆発した平和統一論に危機意識をもった二つの勢力を一つに糾合した象徴的存在だといえる。
 4・19主体勢力の平和統一論に危機意識をもったもう一つの勢力は米国であった。韓半島の平和統一は米軍の韓半島駐屯理由を消滅させる。米軍が5・16軍事クーデターを直接指示し援助したことを示す資料はまだ発見されていないとはいえ、少なくともそれを黙認・幇助した資料はすでに一部公開された。
 5・16軍事クーデター以降軍事独裁政権が30年間継続することによって冷戦勢力は大きく拡大した。南側の冷戦勢力は1960年代まで韓半島統一方案として国連監視下の南北総選挙案を言い張ってきたが、北側が応じない限りそれは正しい意味での統一案になりえなかった。第三世界の大量進出によって国連が米国の手にあまるようになり米・ソ和解、米・中和解が形成された条件において、平和統一論・主体[的]統一論・民族和解統一論としての[1972年]7・4共同声明が発表されたが、それは何ら実効性が無く、軍事政権を中心とする冷戦勢力の拡大、専横と横暴は依然として続いていた。事実、南北対決の構図及び冷戦の構図の下でのみその存在理由が際立つ属性をもった軍部中心政権としては、正しい意味での平和・主体・和解統一を形成するのは困難であった。
 世界史的に冷戦体制が崩壊し韓半島の南側でも軍部政権後、金泳三文民政権が成立し、南北頂上会談の約束もされた。しかし一方の首脳の死亡と軍事政権の胎内から出奔した文民政権の限界性などが原因となり、冷戦体制がそのまま持続した。そうして解放以来選挙による最初の政権交代によって金大中政府が成立することではじめて南北頂上会談がなしとげられ、平和統一体制を定着させるための南北共同宣言が発表されその後続措置がつづいた。このため冷戦勢力の危機意識がふたたび高じたのである。
 親日派が根である冷戦勢力が最初にぶつかった「解放空間」の危機は米軍政と李承晩政権の成立つづく6・25戦争によって解消され、4・19後の危機は5・16軍事クーデターで解消されただけでなくむしろ冷戦勢力が大きく強化された。世界史的に冷戦体制が解消し、選挙による最初の政権交代によって民主政権が成立し、南北頂上会談において共同宣言が発表され、その合意事項が着々と現実化してゆくことで、再びぶつかることになった冷戦勢力の危機はどうなるか。再び抜け出るのかあるいは冷戦勢力自体が解体されるのか。歴史は平面上を循環するものではない。循環するとしても螺旋形を上昇しながら循環するのである。
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