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姜萬吉の韓国冷戦勢力批判(1)

 以下(元論文の)小題目ごとに(5回に)分けて、姜萬吉「冷戦勢力の正体とその克服の道」( 同『増補版 統一運動時代の歴史認識』(2008)所収)の翻訳をおこなう。文中[ ]は訳者による補足。

冷戦勢力の根は何か
 わたしたちの現実から[出発して]冷戦勢力を克服するためには、まず冷戦勢力がわたしたちの歴史にその位置を占めるようになった条件を知り、それを解消してゆくことが重要だ。日帝強制支配から解放後38度線がひかれることによって民族分断の危険が高じたとき、分断の危険を克服して統一国家を建設しようとした政治勢力は存在した。統一国家が樹立された場合権力を獲得する可能性が無いことを知って、分断国家樹立を画策する政治勢力も存在した。38度線以南の場合、分断国家樹立を画策する勢力のうちに、日帝強占時代に民族解放運動に従事した勢力も一部あったことは事実であるが、そうでない勢力が大部分であった。とくに日帝の強占支配に加担して、その行政官・警察官・司法官・職業軍人などとして従事した勢力、すなわち親日勢力がほとんどそのまま分断国家の統治勢力としてその座を占めたのである。
 これらの親日勢力が、なぜ冷戦勢力となったかという問題を論じる前に、親日勢力がどのように形成され何を行ったのか知る必要がある。日帝時代の親日勢力は大きくみて三段階にわたって形成され拡大した。第一段階に形成された親日派は、韓日併合当時それに賛成し加担した朝鮮王朝の王族たちと高級官僚であって、日帝当局から貴族待遇を得た者たちが大部分である。8・15当時その当事者たちは大体死亡しているか高齢であったが、その後孫たちは、一世親日派たちが[日帝に]加担することで形成した政治的・経済的基盤を土台として、解放後もそのまま政治・経済・社会的地位を維持することができた。38度線以南の場合、そのうちの多くの人々が米軍政によって再登用され、李承晩政権成立後も、国務総理や将官、大法院長・軍参謀長・銀行総裁などになって、支配層の位置を維持することができた。
 日帝時代に親日派が拡散した第二段階は、3・1運動後の文化政治とよばれた民族分断政策のときであった。3・1運動が爆発したとき朝鮮総督府は李完用のような「合邦」時の親日派を動員して万歳示威を行う群衆を懐柔あるいは脅迫したが効果がなかったので、新知識人・儒生・資産階級・地主・宗教家などを広範に包摂した。かなり制限されたものではあったがいわゆる地方自治制の実施も、親日派を拡大する方法のひとつとなった。
 朝鮮総督府のかかる民族分裂政策のために3・1運動後、民族主義勢力の一部が妥協主義路線へと向かい、民族解放運動戦線が大きな打撃を受けることになった。韓日「合邦」時に形成された親日派が朝鮮王朝の王族、大臣及び高級官僚に限定され、一つの勢力というほどその数が多かったわけではないとするなら、3・1運動後の民族分裂政策の結果各界各層に形成された親日派は、勢力と言い得るほど拡散したといえる。
 日帝時代親日派が拡大再生産された第三段階は、中日戦争以降といえる。本格的な大陸侵略に至った日本帝国主義は、いまや当時の朝鮮人たちに戦争協力を要求せずにはいられなくなり、一般知識人・中小企業人・中小地主などにまで積極的に親日勢力を拡大していった。とくに教育者、行政官僚及び警察官僚などに朝鮮人を拡大採用し、日本軍及び傀儡満州軍将校などにおいても朝鮮人の数を増加させた。この時期には朝鮮人を大量に侵略戦争に動員するための宣伝を行う文人・教育者など、「職業的」な親日派の数も大きく増加した。日帝時代に生まれ日帝の教育以外受けることのできなかった学徒兵たちが、身命を賭して民族解放運動戦線へと脱出する一方で、親日派たちはかれらを侵略戦争へと送り込むための学徒兵勧誘演説を行ったのである。
 民族解放戦線は左右の別なく民族解放を革命と規定し、親日派の粛清をもっとも重要な政綱政策の一つとして定めていた。左右の別なく分断されながら解放されるとは夢にも思わず、したがって民族国家再建過程において過去の親日勢力が一つの政治勢力として再登場することになるとは、まったく予想し得なかった。たとえ連合国によって日本軍の降伏をうける境界線としての38度線がひかれた後であっても、日帝時代の民族解放運動戦線においてそうであったように、また1940年代前半の臨時政府がそうであったように、非妥協的右翼と左翼が民族統一戦線を形成し、統一民族国家を樹立する道はあったのである。
 しかし反日民族統一線戦体である人民委員会が各地方に成立させた行政権が米軍当局によって回収され米軍政が実施されることで、解放後一時は逃亡していたかつての親日行政官僚・警察官僚たちが行政の一線に復帰し、ここに親日勢力の政治勢力化が開始されたといえる。左右の別なく民族解放運動勢力が解放後の治安を担当あるいは国家建設を主導しえていたならば、必ず粛清対象となっていたはずの親日勢力が米軍政の成立によってそのまま政治界・経済界を掌握し、かれらがまったくの無傷で冷戦勢力へと転化したのである。

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