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引用

 “占領ボケ”ということばがまだ生きているくらい、当時大多数の日本人はアメリカ軍のいいなりに、北を侵略軍とイメージした。とりわけ、本来ならば労働者の国際連帯の立場に立つべき労働組合がすでにそうだった。総評が、民同を中心にまさにこの時期に生まれてくるわけですが、GHQの示唆を受けながら生まれてきた総評は、GHQの評価を鵜呑みにしたような朝鮮戦争観をそのまま機関決定として公式に打ちだした。「北は侵略軍であるから、国連軍の正義の行動は肯定されるべきである」という基本認識に立って、したがって、「それに協力するような軍需産業にかかわることもやむをえない」と肯定し、しかし、「戦火に巻きこまれることだけはゴメンだ」という被害者意識を、自主性の証しのつもりで最後につけ加えている。
 はしなくも、この文章が示している思想をもう少し拡大していくと、じつは戦後民主主義体制のなかでわれわれが自己の内につくりだしている意識構造の原型なのだという思いがします。つまり「アメリカあたりの悪い奴がやる戦争にひきずりこまれるのはゴメンだ。日本は平和国家だ。しかし北の侵略軍も悪い」そういったような発想に安住していられる無神経さ。そもそも戦後民主主義というけれども、そのことばの意味が定着するのは本格的には、むしろ朝鮮戦争後なのではないか、と私は考えています。朝鮮戦争を全体としてこのような形でしか体験しえなかったことが、日本人民のその後の一つひとつの転機にたえず実質的に負い目として覆いかぶさってきているのではないかとも考えます。(梶村秀樹「8・15以後の朝鮮人民」75頁(梶村秀樹著作集第5巻所収))
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