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抗議

 岩波書店労働組合による金光翔氏「除名」処分および岩波書店による金光翔氏解雇通告に抗議します。

【参照】
片山貴夫のブログ、急報 岩波書店が金光翔さんに「解雇せざるをえない」と通告
media debugger、岩波書店へのメール3
横板に雨垂れ、岩波書店へのメール文
全体通信、金光翔氏の解雇を許してはならない  等々。


 渡辺洋三『法とは何か 新版』岩波新書、1998、197頁。

…労働者は、もともとは市民であって、市民的自由を保障されている。労働組合も憲法上は、結社の一つである。使用者に対抗し、労働者に有利になるようにつくられた結社のはずなのに、それが組合員個人の思想・信条の自由を侵すことになれば、本末転倒である。
 日本の労働組合にも、構成員の市民的自由を尊重し、その自由を基礎に団結力も強い民主主義的組合はもちろんある。しかし、それはまだ多数派ではない。組合らしくない組合の方が多い。前にものべたが、企業一家理念から抜けきれず、労使協調を名実ともに看板としているからである。個の未確立の上につくられた集団は、もろいものである。日本の労働組合が、欧米の組合よりも力が弱いゆえんである。昭和初期に労働組合が国策にしたがい、なだれを打って翼賛体制に統合された昔の歴史を忘れてはなるまい。


 渡辺洋三著『法を学ぶ』岩波新書、1986、226-7頁。

 昔とちがって今の日本人は、私益の追求に熱心である。しかし、その追求のパタンは、他の私的利益との対立の中でみずから勝ちとってゆくパタンでなく、各種集団の中で集団に依存しながら、集団全体の利益の一部の配分をうけるというパタンである。この点が利益社会と権利社会の根本的差異である。私は、この特質を、「ぐるみ利益共同体」と名づけたい。それは、家ぐるみ、村ぐるみ、農協ぐるみ、企業ぐるみなどの集団的利益のことである。この種の利益共同体が政治的には、政治献金と利益誘導・供与型の政治関係をうみ出し、結局は、公的資金を管理できる立場にある与党の長期にわたる支配を維持させている重要な要因であることも広く知られている。それゆえにこそ、戦後の近代化は、広範な各種利益共同体を噴出させたとはいえ、それが権利社会の成長や国民の権利意識の向上につながらなかったのである。
 このままでゆくならば、国家ぐるみの利益共同体=国家的利益(ナショナル・インタレスト)が、戦前と異なる形にせよ、やがて形成されてゆくのではなかろうか。すでに、この種の新しい装いをとったナショナリズムが「愛国心教育」として進められつつある。「経済的に豊かで、平和で、争いも少なくて、こんな良い国はありませんよ。この良い国を守ることが、あなた方の義務ですよ」と。


 イェーリング『権利のための闘争』岩波文庫、1894、63頁。

 私はこうした議論を、権利感覚というものが権利侵害の重大さをもっぱら身分的利害によって測る結果、権利感覚の敏感さの程度は身分・職業ごとに異なっている、という単純な事実を確認するために展開したのではない。この事実は、私にとって、はるかに大きな意味のある真理に正しい光を当てるため役立つべきものにすぎない。その真理とは、どんな権利者も自分の権利を守ることによって自分の倫理的生存条件を守るのだ、という命題である。けだし、右に見たように、農民・将校・商人のいずれにおいても権利感覚の感度が最も高いのはそれぞれの身分特有の生存条件にかかわる点であるが、そのことからして、権利感覚の示す反応は通常の激情とは違って気質とか性格とかいった個人的要素だけにもとづくものではなく、一つの社会的要素、すなわちそれぞれの身分独自の生活目的にとって当該の法制度が欠かせないものだという感覚にもとづくものでもあることがわかる。権利侵害があった場合に権利感覚がどれだけ力強く発揮されるかということが、個人や身分や国民が自分と自己独自の生活目的のための権利の意義――権利一般および具体的な法制度の意義――をどれだけよく理解しているかについての、最も確かな指標なのである。この命題は、私には普遍的な真理だと思われる。


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